赤いギャラドスになりたい。

気になったこと、思うことを世に残します。1000年後の教科書に載るような記事を書くことが目標。

散歩と写真

明日テニスするんですが、昨日(まだ寒気が少ししていた)トイレで用を足しながら「明後日この寒さのなか病み上がりで3時間テニスするのか…」と考えて生まれて初めてガチでゾッとしました。

 

 

まあ今日外を歩いててそんなに寒さを感じなかったので大丈夫でしょう♪

 

 

 

 

僕は最近散歩にはまっています。

 

 

おじいちゃんを極めているなあと我ながら思うのですが、

 

 

毎日決まったコースを一人で音楽も聴かずに散歩しています。

 

 

大体時間にして1時間くらいですね。

 

 

「ヤバイなあ…コイツ」と思ったそこのあなた。

 

 

一人で散歩したことある?

 

 

結構体が温まるしずっと座ってた後に歩くとかなりスッキリする。

 

 

さらに歩きながら考え事をすると色々な考えが浮かんでくる。

 

 

家に帰ってすぐにノートを開いて歩きながら考えたことを書き留める。

 

 

なんかかっこよくないですか?

 

 

ちなみに、

 

 

筋トレはしてるけど散歩はしていないという人。

 

 

愚かです。笑

 

 

肘を90度に曲げて骨盤を安定させて歩幅を大きくして早足で歩くとかなりの筋トレになるんですよ!

 

 

実際僕もやってみたけどしんどかったのでやめました笑

 

 

まあでも普通に散歩するのは本当にオススメです。

 

 

で、散歩してて考えたことなんですけど。

 

 

 

 

写真の価値ってなんなんだろう、と。

 

 

例えば金閣寺に行って、金閣寺だけが写っている写真を自分のスマホで撮るのって意味あるのかなあと思ってしまう。

 

 

金閣寺が写っている写真でもっと上手に撮れている写真なんてインターネットにいくらでもあるじゃん、と。

 

 

だから僕自身は写真の価値は「その時、その瞬間」を残して後世に伝えるものにこそあると思うんです。

 

 

例えば友達と一緒に金閣寺をバックに写真を撮るのなら理解ができるんです。

 

 

その時、その瞬間にしか撮れないから。

 

 

でもインターネットで探せば似たような写真がいくらでも見つかりそうなのをわざわざ自分で撮る必要ないじゃん。

 

 

そんなことを考えながら歩いていたんですけど、

 

 

 

 

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自分も撮っちゃっていました。

 

 

そして自分のこの問いに答えが出ました。

 

 

他人のためでなく、自分のために撮っているのだと。

 

 

自分が見返して「あ、この時ここ行ったなあ」と思えればそれでいいのだと。

 

 

周りのためにではなく自分のためにする、そんな当たり前のことに気づかされました。

 

 

こうして少しまた大人になったのでした。