赤いギャラドスになりたい。

気になったこと、思うことを世に残します。1000年後の教科書に載るような記事を書くことが目標。

僕とカープ

こんにちは。

 

 

 

ブログを始めて10日経ちました。

いまだにブログの書き出しと締め方を模索しています。

 

 

 

さて、プロフィールに「カープのことを中心に書きます」と言っておきながら丸の移籍発表、つまりブログ開設初日以降、一切合切カープ、というか野球のことについて触れてこなかったので、原点に戻って野球のことを書きたいと思います。

 

 

 

 

今日は僕がなんでこんなにカープを応援する人(要するにファン)になったのかという話をします。

 

 

 

 

おそらく多くの野球ファンは「気づいたらファンになっていた」という風に言いますが、僕の場合は違います。

 

 

 

 

実は僕も今まで「なんでカープファンになったの?」って人に聞かれた時そう答えていました。すいません。話すの面倒臭かったんです。

 

 

 

 

はっきりと言えます。

僕がカープファンになったのは2005年の4月です。小学6年生になった時ですね。

 

 

 

 

実はそれまで僕にとって野球は「バラエティとかアニメを見れなくする鬱陶しい存在」でした。

 

 

 

また、僕の小学校では少年野球やっている人がとても多く、当時からひねくれ者だった僕はそれだけで「自分は野球なんかに関わるもんか」と思っていました。

 

 

 

 

そんな僕がカープファンになったきっかけは小学5年から6年になる春休みの時に、僕に渡してきたはだしのゲンでした。

 

 

 

 

 

気づいた人もいるかと思いますが、ちょっと重いんです 笑

 

 

 

 

 

話てもリアクションに困るかなと思ったので面倒くさくなったんです。

 

 

 

 

 

 

当時全く何も知らなかった僕は「これ読んでみて」と渡された『はだしのゲン』を読み、そのあまりにもえぐい描写、そして残酷なストーリー展開にとても衝撃を受けました。

 

 

 

 

 (↓はだしのゲンのえぐいとこについて書いてます。読みたくない人は読まないでください。)

原爆によって父、姉、弟が家の下敷きになり助ける前にその家に炎が乗り移って3人とも亡くなり、一方でなんとか生還した母や他のキャラクターも次第に後遺症によって体調を崩し、精神が崩壊して結局亡くなっていく…という本当に救いのないストーリーでした。

 

 

 

 

 

はだしのゲンを読んだのはその時の一回だけなのに今でも鮮明に覚えています。

 

 

 

 

 

そんな壮絶な経験をしている主人公のゲンにとって、数少ない希望の光だったのが広島カープだったのですね。

 

 

 

 

ゲンだけでなく、広島市民の人々がみんな笑顔になってカープの応援をしている描写があり、幼いながらに感動したのを覚えています。(試合には負けてましたが)

 

 

 

 

そして僕はちょうど同じ春休みにはじめて高校野球を見たんですね。

それで野球の面白さに気付き始めていたんです。

 

 

 

 

そしてはだしのゲンを読み終えた直後に2005年シーズンのプロ野球が開幕しました。

 

 

 

 

 

当時は今よりも野球中継が多く、テレビで巨人対広島がやっていたんですね。

 

 

 

 

 

はだしのゲンで見たカープが実在している、というのを知った僕は生まれてはじめてプロ野球中継を見ました。

 

 

 

 

 

その試合でカープは勝ち、結局3連勝したんですよね。

 

 

 

 

 

僕はそれを見て「カープって強いんだ。」と思ったんです。

だから僕はカープを応援し始めたのは「弱かったから」ではなくて「強いと思っていたから」なんですね。(結局カープはその年最下位になります。)

 

 

 

 

それから母親のケータイや家族共用のパソコンでカープの試合をチェックするようになりました。

当時は「適時打」の意味すらわかりませんでした。

(ランナーをホームに返すヒットのことを言います。「タイムリー」とも言います。)

 

 

 

あとはたまたま選手名鑑が家にあり、それを結構眺めていて覚えた選手が試合に出ているのをみてどんどん楽しくなっていきました。

当時は「捕手」を代打のことだと思っていました。

(正しくはキャッチャーです。)

 

 

 

 

そしてテレビでやっていた阪神戦や巨人戦は欠かさず見るようになっていきました。

親もよく一緒に見てくれたなと思います。

 

 

 

 

テレビを見ていると段々とルールや選手を覚えるようになり、気づいたら見るのが楽しくて仕方ありませんでしたね。

 

 

 

 

そんなカープを応援しだした2005年の一番の思い出話。

確か5月くらいに修学旅行があったんですけど、僕はその時にどうしてもカープの帽子を被って行きたかったんですね。

 

 

 

 

だけど当時は今みたいな人気球団ではなかったので近畿地方にはどこにもカープの帽子は売ってなかった。

 

 

 

 

父が実にたくさんのスポーツ用品店に探しに行ってくれたけど結局見つからなかった。 

レッズの帽子はあったのでそれで妥協しようみたいな話もあったのですが嫌がりました笑

 

 

 

それで結局インターネットで買うことにしました。

 それがおそらく我が家ではじめてのインターネットでのショッピングでした。

 

 

 

 

二週間くらいしてついに帽子が届いて、初めてかぶった時、本当に嬉しかった。

それまで帽子が大嫌いだった自分が初めて進んで被った帽子でした。

 

 

 

 

それから修学旅行の時はもちろん、塾に行く時も赤い帽子をかぶっていきました。

 塾の帰りに地元の駅を降りたこところにあるたこ焼き屋さんでたこ焼きを買うのが習慣だったのですが、その時にたこ焼き屋の店主がカープの帽子を被っていた僕に対して「大野豊って知ってる?」と聞いたんです。

大野豊は1998年に引退しているので今思えば知るわけないだろと思うんですが、その時は答えられなかったことがものすごく悔しくて、そこから必死に昔のカープについて勉強しました。

 

 

 

 

周りが「TH」(阪神タイガース)の帽子をかぶっている中、真っ赤な「C」というロゴの入った帽子をかぶっていることがとても誇りでした。

 

 

 

 

 

おそらく周りの人と違うということが嬉しかったんでしょうね。

 

 

 

 

 

だから多分広島で生まれ育ってきたらカープファンにはなっていなかったんじゃないかと思います笑

中日ファンくらいになってたんじゃないかな笑

 

 

 

まあそんなこんなで結局今まで飽きもせずずっとカープを応援し続け、プロ野球を見続けてきました。

 

 

 

そしてカープファンとして自分のアイデンティティを確立した僕は、カープファン以外のアイデンティティがないことに苦しむようになるのですが…それはもう少し後のお話。