赤いギャラドスになりたい。

気になったこと、思うことを世に残します。1000年後の教科書に載るような記事を書くことが目標。

閲覧数100人突破!!(๑╹ω╹๑ )

ブログを始めて5日目にして100PV(100人の方に見ていただいた)を達成しました。

 

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

丸移籍を理由に始めましたが正直丸が残留していても丸残留の喜びを理由にブログを始める予定でした(丸ごめん!)

 

 

 

では何故ブログを始めようと思ったのか。

 

 

 

理由はいくつかあります。

 

 

 

勿体ぶって小出しにしていこうと思います(書くネタを稼ぐため)。

 

 

 

 

 

理由の一つは遺書代わりです。

 

 

 

重いっ!

 

 

 

もちろん別に今深刻な病気を患っているとか(軽度な病気も患っていません。多分)自殺を考えているとかそんなことは一切ありません。

 

 

 

僕は元々死に対する意識が非常に強い。

 

 

 

哲学者みたいに普段から死について考えているわけではありません。

 

 

 

ただ高いところに行ったり体に異変を感じたりするとすぐに「落ちたらどうしよう」とか「ガンだったらどうしよう」とか考えちゃうんですよね。

 

 

 

絶叫系や飛行機に乗りたがらないのも恐らくこれが理由だと思います。

 

 

 

とにかく死ぬリスクをなるべく取りたくない。

 

 

 

でもこれってすごく不幸なんですよね。

 

 

 

 

絶叫系乗れなくて申し訳ない気持ちになったことなんて今まで何百回とありました。

 

 

 

その度に自分への情けなさを感じると同時に、死を恐れずに楽しそうに絶叫系に乗れる人たちを心から羨ましく思ってきました。

 

 

 

みんななんで絶叫系に乗れるんだろう。

 

 

 

 

恐らく絶叫系乗って死ぬなんてありえないと思っているからだと思うんです。

 

 

 

しかし僕は絶叫系で死ぬなんてありえないとは思えません。

 

 

 

ただ、できることなら僕も人並みには絶叫系が乗れるようになりたいと思っています。

 

 

 

そこで考え方を変えようと思いました。

 

 

 

いつ死んでもいいやっていう気持ちになろうと。

 

 

 

何故自分がこんなに死の意識が強いのかはよくわからないけど、とりあえずいつ死んでも別にいいやって思える状態になったら死ぬリスクが怖くなくなるんじゃないかと考えたんです。

 

 

 

で、じゃあなんで自分は死にたくないと思っているのかと考えたときに、

「今死んだら俺のことがほとんどの人の記憶に残らない」

ことが嫌やなと思ったんです。

 

 

「自分の考えや作品など自分の生きた証を少しでも多く残せれば死ぬことに悔いは無くなっていくんじゃないか。」

と思ったんです。

 

 

そこで行き着いたのがブログ。

 

 

 

流石に遺書を書くのはなんか死ぬ気満々というか、何となくあまり良くないな、と思ったのでブログに自分の考えたことを残していこうと思いました。

 

 

 

なんか結局重い話になってしまった。

もちろん遺書っていうのだけが理由ではありません。

他にも理由はあるのでそれはまた後日書いていきます。

 

 

 

 

 

あと、ここまで毎日書き続けていますが恐らく今後休む日も出てくるかと思います。

書こうと思っていることはたくさんあるんですが、書こうという気にならない日があることを今日気づきました。

 

 

まあつまり今日はなかなか書こうという気にならなかった笑

 

 

 

欲を言えば「読者になる」を押して欲しいですが、閲覧数があるだけでもモチベーションになるので僕に恩を売るつもりで今後も暇なときに読んでもらえたらと思います。

(誰が閲覧してくれているかまではわからないので恩を売りたい人は読んでいるアピールをしてください)

 

 

 

 タイトルだけでも明るくしておこう…