赤いギャラドスになりたい。

気になったこと、思うことを世に残します。1000年後の教科書に載るような記事を書くことが目標。

中学受験はするべきか否か

いきなりですが、僕は中学受験をしました。

 

 

 

 

地元の公立小学校から中学受験で大阪教育大学附属池田中学校(通称池附)に進学。高校もそのまま同じ敷地内にある大阪教育大学附属高等学校池田校舎(通称池附)に進学し、一浪を経て大阪市立大学文学部に前期合格しました。漢字多いですね。

 

 

 

 

 

この学歴を見て普通の人はどう思うでしょうか。

 

 

 

 

大学で知り合った人に僕の出身高校をいうと結構「すごい」と言われます。

実際この高校からは160人の生徒中10人くらいが東京大学に進学し、30人くらいが京都大学に進学します。

 

 

 

 

その他の生徒も大阪大学神戸大学に進学する人が多く、全国の中でもトップクラスの進学校と言えるでしょう。

 

 

 

 

じゃあ、そんな進学校出身の僕も当然頭がいいのかというと、全くそうではありません。

 

謙遜でもなんでもないんです。

全くそうではありません。(2回目)

 

 

 

 

なぜこう言い切るのか。その理由を説明します。

 

 

 

 

 

今の子どもたちが僕と同じ失敗をしてほしくないという心からの思いから書きます。

 

 

 

 

 

僕の父はとても教育熱心です。

 

 

 

 

 

僕はもともと保育所に預けられていましたが、途中で私立の幼稚園に移ります。

今思えば恐らく読み書き計算を勉強させるためだったと思います。

 

 

 

 

 

小学校1年生、2年生の頃は母親とよく百ます計算をやっていました。

 

 

 

 

そして小学校3年生になると毎週土日のどちらかに「ヤマベン」という時間があり、父親が僕に国算理社を教えました。

 

 

 

 

 

小学校4年になると僕は塾に通わされ始めました。

 

 

 

 

 

塾でやることはただひたすらプリントの問題を解きまくるだけ。

 

 

 

 

そして塾が作ったプリントを覚えて覚えるまでなんどもテストを受けるだけ。

 

 

 

 

 

ずっとそれを繰り返しました。

 

 

 

 

そんな勉強を続け、直前期には赤本を解きまくり、結果僕は池附を始め函館ラサール、土佐塾、六甲、明星、高槻と中学受験を経験した人なら誰もが聞いたことあるような学校にいくつも合格しました

 

 

 

 

しかし、塾の先生に「受けてみて欲しい」と言われて受けた東大寺学園の問題は全く歯が立たず、余裕で不合格になりました。

 

 

 

 

ところで。

なぜ僕が家から遠い池附を第一志望にしたかというと、①テストの科目が国語・算数・社会、そして図工だったから②マイナーだけど難しい学校だから、そして③共学だからでした。

 

 

 

 

詳しく説明すると、

①中学受験は大体の学校の入試科目が国語・算数・理科なんですね。

その中で池附は国語・算数が共通で、あとは「理科と社会からどちらか一方」「体育・音楽・図工からどれか一つ」という変わった入試科目設定だったんです。

 

②昨日の記事でも書きましたが、僕は「目立たないけれど実力のあるもの」に魅力を感じます。僕は兵庫県民なので当然周りの中学受験する人たちも兵庫の中学校を志望していました。そんな中あまり知名度は高くないけれど偏差値はそれなりに高い池附は魅力的だったわけです。

 

③僕は結構異性を意識するタイプです。一方、灘中学校を始め私立の中学校はほとんどが男子校でした。女の子のいない3年間なんて考えるだけで地獄でした。

ちなみに前述の僕が合格した学校もほとんどが男子校です。

 

 

 

 

 

 

さて、こんな小学校生活だったのですが、一見すると6つの中学校に合格し、第一志望の学校にも合格したので中学受験して大成功って感じしますよね。

僕自身かなりこの時に自分に自信を持ちました。

 

 

 

 

 

しかし、僕には致命的な欠点がありました。

 

 

 

 

 

 僕は人の話を聞かず、指示されたことしかできない人間になってしまっていたのです。

 

 

 

 

僕には「聞く力」が全くありませんでした。

 

学校の先生の言っていることが完全にBGM。内容が全く頭に入っていませんでした。

 

 

 

 

そのためちょくちょく先生の指示を聞き逃し、隣の席の子に「今何をやるの?」と聞いたりしていました。

 

 

 

 

じゃあ授業中先生の話を聞かずに何をしているのかといえば落書きや考えごとです。

 

ポケモンの絵を描いたり、授業とは全く関係ないことを考えたりしていました。

 

 

 

 

 

最初の頃は落書きばかりしていましたが落書きは先生からすぐにわかるので怒られやすいんですね。

 

 

 

 

何度か怒られてからは考えごとをする時間が長くなりました。

 

 

 

 

考えごとといってもゲームのこととかその程度のくだらないことばかりでした。

 

 

 

 

 

両親や先生が何か言っていても上の空で、適当に相槌だけ打っていました。

これを繰り返していると、次第に全く頭に入っていないのに「なるほど」「はぁ」など、相槌だけが上手くなっていきました。

そして恐ろしいことに、自分でも話を聞いた気になってしまっていたのですね。

 

 

 

 

 

 

勉強もやらないと親が怒るからやっていました。

勉強を疎かにしていたらすぐにゲームを禁止されました。

しかし、そんなことをされてもじゃあ勉強しようとはならず、何かと遊びを見つけて結局塾以外ではほとんど勉強しませんでした。

 

 

 

 

 

 

そんな感じで僕は話を聞かない人間、そして親や先生に指示されないと何もできない人間になってしまっていました。

 

 

 

 

 

なぜ僕がこうなってしまったかというと、そもそも僕の性格に問題があったのはそうなのですが、中学受験にある程度成功してしまったのが一番の問題だったのではないかと思います。

 

 

 

 

この時に「自分は頭がいい。やればできるんだ。」という変な自信を持ってしまいました。

 

 

 

 

 

そして頑張っても点数が取れない自分を受け入れられず、中学校に入ってからは勉強自体をしないようになり、「いかに勉強時間が少なくても高い点数が取れているか」を必死に周りにアピールしようとしていました。(結果勉強時間が短くテストの点数も低い最悪な状態になりました。)

 

 

 

 

結局僕が自分には聞く力がないこと、人に指示をされないと何もできないことに気づくまで20年以上かかりました。

 

 

 

 

恥ずかしながら就活でちゃんと自己分析するまでわかっていなかったんですね。

 

 

 

 

 

まあ僕ほど気づくのが遅くなくても人に言われたことしかできず、問題集をただ解きまくってて点数が取れているがために自分の実力を勘違いしている人はたくさんいると思います。

 

 

 

 

学校のテストはもちろん、入試問題もまだまだ暗記型、問題を解きまくっていたらできる型のテストの方が圧倒的に多い。

 

 

 

 

それは僕が問題をひたすら解いていただけなのにも関わらずそれなりの偏差値(多分65くらい)の学校に合格してしまっていたことからも証明されています。

 

 

 

 

僕が東大寺学園に余裕で落ちたのは東大寺学園はそれだけ優れた問題、つまり問題集をただやっているだけでは太刀打ちできないような問題を出していたからだと思います。

 

 

 

 

今の僕に言わせれば、当時僕が中学受験した学校の中で、わざわざ受験勉強してまで進学する意味のある学校は東大寺学園だけだと思います。

 

 

 

 

問題集を解いていただけの僕みたいなやつが合格したらダメなんですよ。

 

 

 

 

繰り返します。僕が言いたいのは、

問題集を解いているだけで点数が取れるテストを作ったらあかんということです。

 

 

 

 

そんなテストを作っても僕みたいに勘違いして大人になってから痛い目を見る人が量産されるだけです。

 

 

 

 

そもそも「いい大学出ている人が社会に出て優秀な人間とは限らない」という事実にもっと危機感を感じるべきです。

 

 

 

 

ちゃんと人の話を聞き、自分で物事を考えられる地頭の良い人が受験でも結果を残し、そのまま優秀な企業に就職する、という構図があるべきだと思います。

 

 

 

 

ちょっともう日付が変わりそうなのでこの辺にしますが、この僕の考えは僕が教育の仕事をする限り主張し続けたいと思います。

 

 

 

 

反論も含めて、色々な人と議論したいテーマですね。